岩国基地から沖縄へのフライト。

ANAのマイルの有効期限が迫っていたので、トクたびマイルを使って8年ぶりに沖縄へ行ってきた。

海外と異なり、日本国内の旅行は大した準備もしなくても行けるから便利だ。とはいえ、まだ行ったことのない所に行きたい私は、極力これまでの沖縄旅行とは異なるルートで行きたかったので、岩国錦帯橋空港を利用し、今回はレンタカーを使わずに公共交通機関だけで行きたいところへ行ってみた。

岩国空港は米軍岩国基地の中にある。というか、米軍基地の一部を間借りしているような感じを受けた。そのため、写真や動画撮影は一切禁止。戦闘機が窓から間近に見たときはテンションが上がった。民間空港とは違う緊張感があった。

約2時間弱のフライトで沖縄本島が眼下に見えてきた。嘉手納基地と普天間基地がはっきりと見えた。市街地に囲まれた広大な普天間基地はは印象的だった。

この日は北風だったので飛行機は摩文仁の丘のある南部を旋回し、那覇空港に着陸した。

沖縄に来るたびに思うことがある。それは、懐かしいふるさとに帰ってきたような錯覚だ。本土で感じていたような師走の慌ただしさがなく、ゆっくり時間が流れている感じを受けた。

首里城にゆいレールで向かう。初めて沖縄に来た時に訪問したことがあったのだけど、その時は正殿を見ていなかったのだ。6年前の火事で消滅。しかし、再建が進んでいて、来年には一般公開されるようだ。工事中の正殿をみることができたのはせめてもの救いだった。正殿の正面玄関が西の方を向いているのが気になったので警備員に聞いてみたら風水の影響だと教えてくれた。

昼食を抜いていたので、地元の人の御用達という食堂で早めの夕食を取る。そーめんちゃんぷるを注文したのに、なぜかふーちゃんぷるが出てきた。まあおなかがすいていたので細かいことは抜きにして頂いた。

翌日は北部の美ら海水族館まで高速バスで向かう。高速バスといっても乗っている時間の半分以上は一般道。約2時間で美ら海水族館のある海洋博公園に着いた。ここは日本人よりも外国人の方が多かった印象。中国語が聞こえたが、今は中国からの飛行機が激減していると聞いていたので、台湾だろうか。家族連れに何度も行く手を遮られ、落ち着いてみることができなかった。ジンベイザメのいる水槽はスケール感の違いに圧倒された。もっとも、私は水槽を見てい喜んでいる観光客を見ていた。最近は一歩引いた立場から物事を見るようにしている。

その後、海岸を北に歩いて向かうとエメラルドビーチに出た。沖にある伊江島の中央の山の形がユニークでしばらく見ていた。沖縄では10分くらいぼーっと海を見ているだけで意識がフローしてくる。つまり、何か大きなものと繋がった感覚を持つのだ。自然の中で何も考えないでいる時間。こういう時間が私には必要なのだ。

帰りのバスの時間が気になり、備瀬のふくぎ並木に行くか、今帰仁城に行くか迷っていた。旅先で判断に迷ったときは直感に従うようにしている。ふくぎ並木に向かった。そこは観光客はまばらでゆっくりと散策をすることができた。お店の人は商売あがったりで困ったような顔をしていたが、私のような一人旅にとって、観光客が少ないということは人の目を気にしないでゆっくりできるので、とてもありがたいことだった。

近くの高級ホテルのバス停まで歩く。歩いてやってくる観光客が珍しかったのか、ベルガールのスタッフが不思議そうに見つめてきた。「今帰仁城に行くバスはここから出ている?」と聞くと、調べてくれた。バスが遅れていたので今帰仁城まで行くバスに乗れそうだった。しばらく、他愛のない会話を楽しむ。こういう会話を楽しめれば、一人旅の寂しさはない。ここから見えるエメラルドグリーンの海の先に見える伊江島の光景は今回見た中で一番美しかった。もう少し稼げるようになったら、こういうグレードの高いホテルに泊まってみたい。

今帰仁城は2回目。沖縄の歴史について詳しく知ろうと思ったら、北部と中部、そして南部にあるグスクを回ってみるのがいい。グスク時代と呼ばれる沖縄の戦国時代には北山、中山、南山の三山の争いが続いていた。その北部の王の拠点だったのがこの今帰仁城だ。北の海の方を向いて作られているので、景色は最高。ベトナムのミーソン遺跡のようだと思った。海だけでなく、山にも神聖なものが宿っているのだろう。

帰りのバスは渋滞に巻きこまれ那覇市内に戻るまで3時間かかった。ヘトヘトになったが、宿に大浴場がついていたので回復も早かった。気温20度くらいだったけど、お風呂は気持ちがいい。風呂上りのオリオンビールが最高だった。

3日目は夕方の飛行機まで時間があったので、どうやって時間をつぶそうか迷っていた。まず公設牧志第一市場に向かった。新しく建て替えられていて綺麗になっていた。日本人より台湾や中国の観光客の方が商売になるのだろうか。お店の看板のほとんどが中国語で、中国語が飛び交っていた。3階の食堂でまだ食べていなかった沖縄そばを食べる。あっさりしていて美味だった。

その牧志公設市場のすぐ近くにあったミヤギミートというスーパーで食材やお土産をたくさん購入。ここは空港で買うよりも同じものを安く買えることでひそかに有名なのだ。なので最終日にここでまとめて購入するのが経済的だと思う。全国発送も対応してくれるようだ。

あと2時間くらい時間があったので、沖縄県立博物館・美術館に向かう。ここが思ったより面白かった。博物館では沖縄、というより”琉球”といった方が正しい、の歴史を神話から戦後の今日に至るまで分かりやすく説明している。琉球の人たちの信仰、グスクのこと、日本の侵攻、琉球処分、沖縄戦、米軍統治、そして今の沖縄県。特に印象的だったのは中国大陸の側に立った視点からの沖縄の置かれている位置を体感できた中央部分にあった展示だ。視点を変えると正しいと思っていた主張もそうではないような気がしてきた。沖縄は日本の主権が及ぶ地域ではあるけれども、必ずしも喜んでいる人たちばかりではないことが少し分かった気がした。日本の都道府県の一つだけれども、意識の上では100%そうではないような感じ。地政学の力のバランスが崩れる中で、仕方なく、日本の一部に置かれてしまったため、地上戦の悲劇と米軍統治が起きてしまった。展示を見ていてそう感じた。

那覇空港では青いサンタの帽子を被ったグランドスタッフがいた。そういえば今日はクリスマスイブ。クリスマスイブを温暖な地で迎えるのも、飛行機に乗るのも初めての経験。もっとも、キャビンアテンダントは、これから忙しい年末年始がやってくるのが億劫なように感じられるアナウンスをしていた。

再び岩国空港、ではなく米軍施政下の岩国基地に戻る。広島空港よりも便利な場所だけれども、ここも日本ではないような感じ。岩国でも轟音を立てて飛び立つ戦闘機。本土では沖縄ほどの基地負担ではないけれども、日本の主権は完全なものではなく、実際にはアメリカの大きな力の下にあるような感じを受けた。そう思うと、数か月前、新しい女性総理がここにきて、米軍兵士を前にありったけの笑顔を振りまいていたことに何か違和感を感じた。

やっぱどんな形であれ旅は楽しい。来年も旅を続けようと思う。

マレー半島縦断の旅10

10日目 クアラルンプール(KLIA)→関西国際空港(KIX)→広島

搭乗ゲート近くではパラパラと人が増え始めた。日本人もちらほら見えるようになり、ようやくアウェーからホームに戻れるサッカー選手もこんな気持ちなのだろうと思った。それでも乗客の8割はマレーシア人のような感じがした。

クアラルンプール国際空港(KLIA)

0:50。搭乗ゲートが開かれる。抜き打ちのような形で警察か入管職員と思われる人が搭乗券とパスポートの確認をしていた。チャンギと違って出入国審査がアナログなところがいい。

飛行機は2×4×2の大型だった。ほぼ満席だった。通路側の席を割り当てられたので動けてよかった。6時間のフライトはちょっと長い。離陸前に重たそうな飛行機は滑走路を長いこと走ってしたように思う。離陸したのを確かめて意識が消えていった。そのまま眠りに落ちたようだ。

夜間飛行にも関わらずマレーシア人は賑やかに話をしていた。関西空港まであと1時間20分のところまでやってきた。もう日本の領空だろう。ここまでくると大多数のマレーシア人の乗客とCAが外国人に見えてくる。主客転倒。自分のホームに戻ってきたと感じた。

関西空港

関西空港には予定より30分早く日本時間の9:20に到着した。空港内を結ぶ鉄道でCIQのあるビルまで向かう。ターミナルビルの無機質さが日本的な感じを受けた。そしてまだ上手く機能していない税関とイミグレの自動化。現場は混乱していて職員が乗客にデジタルゲートを勧めていたが、スタンプを欲しがる帰国者に女性の入管職員はいらだちを覚えているようだった。

多国籍だった国から帰国した直前は日本人が圧倒的に多い光景にちょっと違和感を感じたがすぐに日常に戻った。観光客と思われるアジア人が関西空港に多かった。帰国して真っ先に食べたかったものは牛丼だった。関空にはすき屋があったので早速向かった。欧米人観光客が嬉しそうに若い日本人店員に何かを質問していた。

広島までのJRの乗車券をみどりの窓口で購入。行けるところまで在来線で行こうと思った。

日本の電車は時間通りだから乗り継ぎもしやすく、田舎でも電化されている。乗客は下を向いて機嫌が悪そうにスマホを見ていてとても静かだった。昨日までと打って変わり、日本の鉄道の車内の不気味な静けさになんだか違和感を感じた。電車からの車窓は画一的な低層ビルばかりでぽつんと見えたあべのハルカスが何だか貧弱に見えた。そして街路には緑が少ないように感じた。乗客は時々サラリーマン、圧倒的に高齢者が多かった。551蓬莱のショッパーを持って西に向かっている欧米人バックパッカーを見て彼らにとって日本は鉄旅がしやすいだろうなと思った。マレー半島での濃厚だった鉄旅の経験が日本の電車に乗って数時間経つと徐々に薄れていった。

姫路を過ぎるとますます田舎の風景になった。山の形が日本だなあと思った。田植えが終わったばかりの水田には水が綺麗に貼られて空の青さを反映していて美しく感じた。見慣れたいつもの風景を眺めていると一人旅の緊張感から解放されたのか、安堵して何度も途中うとうとと午睡をした。農のある風景と都市景観の両方がある日本。米の価格高騰はさておいて、世界でも恵まれている国だと思った。

広島県 糸崎駅

結局最後まで在来線を乗り継いで18:30広島に戻った。10日間のうち総移動時間約50時間。約2日は移動していたことになる。『移動する人はうまくいく』果たしてどうだったであろうか。著者によれば知らない土地にいくと当たり前が当たり前じゃなくなる、他人と違う人生になるから面白いコンテンツが作れるという。

自宅は10日前と変わらないままだった。まるでそのまま時間が止まっていたようだ。今朝家を出たかのような錯覚を覚えた。体重は2キロ減って鏡を見ると陽に焼けていたのを見て、確かにマレー半島を縦断してきたのだと実感した。久しぶりのビールを飲んだ。

あとがき

国際交流センターで日本語を教えているフィリピン人に今回の旅のことを話した。東南アジア出身の彼は嬉しそうだった。物価の違いは日本やシンガポールは先進国、フィリピンは途上国だからだと言っていた。休みも社内イベントに駆り出され、日本の物価の高さの中で生活をして祖国にも仕送りをして大変そうだった。それでもまだ日本は彼にとって稼げる国のようだったが韓国や台湾からもっといいオファーがあればそちらに移りたいとも言っていた。これから社会を動かしていくのは格差の中で簡単に国境を超えて移動をするこういう人たちだと思った。

多様性とは何か。今回の旅の中でずっと考えてきたことだ。自分は自分、他人は他人と割り切る冷たさのようなものを感じたが、それぞれのテリトリーを侵さずに共存するための手段ではないだろうか。共生はできないが共存はできると誰かが書いていた。まさにその通りだと思った。静かな共存。これこそ日本がこれから目指すべき道でなないだろうか。

日本のデジタル化については圧倒的に遅れていると思う。海外であちらのsimを使うために日本の通信会社のプロファイルを削除したのだが、帰国後simが使えなくなった。そこで解約しようと思っても紙でないと受け付けないと言われ、やむなく郵送した。こういう細かい所がシンガポールに大きく後れをとっている。官僚体質が日本の国際化とデジタル化の邪魔になっているように感じた。

(完)

マレー鉄道縦断の旅9

9日目 シンガポール→クアラルンプール国際空港

最終日。昨夜はとてもよく眠れた。これまでの疲れが幾分かとれた。ここのカプセルはカプセル内にエアコンがないのを覗けばコスパは良かったと思う。静かでゆっくり休めた。

今日は夜の飛行機でクアラルンプールへ向かい関西行きの便の乗り換えること以外は何も重要な予定がない。シンガポールは物価が高いのでお金のかからない観光をしたいと考え、ショップハウスが立ち並んでいるカトン周辺の散策と事前予約していた高層ビルのキャピタスプリングからの景観を楽しみたいと思った。日本帰国時の税関事前申告をオンラインで済ませておき、お昼前にチェックアウトした。

タイ食材専門のスーパーでお土産を買う。ドライフルーツは日本で買った方が安いと思ったので重量の小さいラーメンをいくつか買っただけだった。

シンガポール カトン地区

MRTを乗り継いでカトン地区に向かう。プラナカンのショップハウスが立ち並ぶ地区だ。ペナンやマラッカで見たものと同じようなスタイルの家屋が軒を連ねていた。カラフルなものもありインスタ映えしそうに思った。若い欧米人観光客や日本人観光客の姿もあった。

通りにあったレストランでNasiチャンプルーとマンゴージュースを頼む。シンガポールでも結局これ。マレーシアで食べたのよりはあっさりしていた。注文してから作ってくれるので美味しかった。テラス席を吹き抜ける風が気持ちよかった。Breeze is niceは今回の旅のテーマのようだった。10.5ドル。マレーシアの約2倍。

カトン地区

入りやすいお店の特徴。角にある、開かれている、お客さんが数人座っている。

カトンはいい気が流れている、そんな街だった。風水が影響しているのだと思った。風が抜ける物件というのはやはり重要だと思った。

カトンを散策した後、MRT東西線のPaya Leber駅まで気力をふり絞って歩く。天気がいい。暑さが身に応える。駅では駅前のSC前でお菓子のサンプルを配っていた。日本と変わらない。「ニーハオ」と声を掛けられ一つもらった。

シンガポール ラッフルズプレイス

そこからラッフルズ・プレイス駅まで行く。出口がたくさんあり迷う。とりあえず地上に出るが、頭上には高層ビル。欧米系のビジネスマンが颯爽と歩いていた。右も左も分からずGoogleMapで進路を確かめるが電波をうまく拾えていなかったのが、まったく異なる場所に私の位置を示すGPS。ふと上を見上げるとCAPITA SPRINGと看板が掲げられており、エントランスはすぐ目の前にあった。

キャピタスプリング

CAPITA SPRINGには無料で入れる屋上展望台がある。事前に予約していたので欧米人ビジネスマンの列に並んで受付で予約済みであることを伝える。隣のエレベーターで51階まで直接行ってもいいと言われた。エレベーターはスピードが早くて物の1分もしないうちに51階に到達した。耳がキーンと痛くなった。屋上には小さな庭があり、世界最高層の植物園という触書があった。マリーナベイサンズを見下ろし、その先にはシンガポール海峡沖に停泊していると思われる無数のコンテナ船が見えた。

シンガポール マリーナべイ・サンズ
シンガポール チャイナタウン

シンガポールは地の利に恵まれた土地だと思う。東南アジアの中心で外資系金融機関の看板を見つけると世界中から資本を集めているように感じられた。

チャンギ空港に向かうMRTの車内にはインド系、中国系、マレー系など顔と肌の色、言葉の異なる様々な人で混雑していた。けれどもそれが自然な状態で共存していた。日本の多様性などマレーシアやここシンガポールに比べたらかわいいものだと思った。アナウンスも駅の標識も英語、中国語、ヒンドゥ語(タミル語?)の三か国で表記されていた。

シンガポール JEWEL

15:30。チャンギ国際空港に到着。搭乗時間までたっぷり時間があったので空港を散策することにした。まず向かったのはJEWELという人口の巨大な滝。植物園を思わせるような屋内空間の中心の天井から勢いよく滝のような水が下の穴に落下していた。40Mの人口の滝は世界最大らしい。圧巻。言葉を失った。これが多様性が生み出すイノベーションなのだろうか。枠にはまった考えを強要する組織・文化ではこういったすごいものは生み出せない。シンガポールが強い理由がそこにあるように感じた。多様性、アイデア、イノベーションの好循環がこの国にはあった。

滝の音とクラシック音楽、植物園の中を走るターミナルを繋ぐスカイトレイン。今回の旅のクライマックスを締めくくるにふさわしい場所だった。『グリーンカード』というアメリカ永住権を得るための主人公を描いた学生時代に見た映画のことを思い出した。虹が見えたのは幸運だった。

スカイトレインに載ってターミナル間を移動した。窓を綺麗に掃除している人がいた。移民労働者だと思われた。

シンガポール チャンギ国際空港T4

私が乗るエア・アジアはターミナル4(T4)から出発するのでT2からT4へバスに乗って移動した。T4はまだ新しいターミナルビルだった。エアアジアのカウンターに向かうが、手前には複数の無人チェックイン機があった。数日前にスマホでチェックインを済ませていたが念のためにここでも予約番号と氏名を入力し確認。搭乗券を印刷して、近くにいた係員にすべての荷物を持ち込みたいが重量をチェックしないのかと聞いた。そのまま行ってもいいと言われた。バンコクで買ったよくそれるT字髭剃りも持ち込みできるか聞いたら、多分大丈夫だろうと答えていた。

T4のロビーからはビルがない広い空が見えた。これまでの人生の中での最南端の空港に自分は今いることをかみしめた。

シンガポールドルが7ドル残っていたので使い切りたいと思い、ターミナルにあったバーガーキングに入った。キャッシュでも注文ができたので7ドル(727円)のハンバーガー1つだけを注文した。店員は怪訝な顔をしていた。日本の倍の値段。空港だからかどうかは分からないが、私は途上国から来た観光客のようだった。円が不当に安くなっていると思った。

人生の最後もこんな感じだのだろうか。『DIE WITH ZERO』ではお金を使い切って死ぬことが理想だと書かれていた。旅のクライマックスで両替していたお金を使い切れて満足した(厳密にいうと35セントと6000ドン残ってしたが)。

いよいよ今回の私のマレー半島縦断の旅も終わりが近づいている。

シンガポール チャンギ国際空港

世界最先端のこの国の空港の出国審査は完全に自動化だった。係員がいたので「Woodland CIQでスタンプを押されなかったがここを通ることができるのか?」と聞いたら「どういう意味だ?ここはシンガポールだ。初めてか?」と言われた。そのままやってみろと言われたのでマシンの前で顔認証し、パスポートと搭乗券をスキャン。認証が終わると一つ目のゲートが開き、二つ目のゲートも時間差で開いた。ものすごい省力化。行列は出来ておらず職員もいらない。これがAI化の実現した世界かと思った。数年後には世界のあらゆる場面はこのように無機質になるのだろうと思った。

目の前の外国人がバッグの中を調べられていたので厳しいのかと思ったが、セキュリティチェックも問題なく終わった。

トイレで歯磨きをした。とても綺麗だった。タイルの模様が印象的だったので写真を撮っていたら掃除のおじさんが嬉しそうに便器の部品を手に取って、誇らしげに俺が担当しているんだと言ってきた。「きれいにしてくれてありがとう。こんな綺麗なトイレは見たことがない」と伝えると嬉しそうだった。

QICを抜けると多くの免税店が並んでいたが興味はなかった。ロビー一面に絨毯が敷かれていてシンガポールのプライドを感じた。搭乗ゲートの近くにプラナカンのショップハウスを模した店舗と寸劇が上映されていた。マレー半島のいくつかの土地で見たものと同じだった。今回の旅のエンディングにふさわしいと思った。ショップハウスのファサード(正面)にも時代によって変遷があるようだった。

夕陽が綺麗だった。その中を高度を下げてこれから着陸しようとしていく航空機が見えた。夕陽の中心を飛ぶ飛行機。自然と人口の織りなす造形美が見れたのが都市国家シンガポールだったと思う。

今回の旅でもたくさんメモを書いた。ボールペンのインクが切れたので2本目のペンに変えた。書くことだけが孤独を和らげ不安を鎮めてくれた。

21:35。15分遅れてクアラルンプール(KLIA)行きのエア・アジアはチャンギ空港を離陸した。LEDに照らされた夜の滑走路は美しかった。窓からはだんだん小さくなっていくシンガポールの街の灯りが見えた。機長のアナウンスが格好良かった。「あなたの人生が今回のフライトを通じてより豊かで充実したものになることを願っています」というものだった。

機内誌で各国朝食特集が乗っていた。”It is often said that breakfast is the most important meal in the day”と書いてあった。今回の旅では朝食にNasiチャンプルーをしっかり食べることで一日動けたのでその通りだと思った。

KLIA

約40分のフライトでKLIAのターミナル2に到着した。直前前方にクアラルンプール(KL)の街灯りが見えた。空港乗り継ぎも案内の矢印にしたがって行けば難なくこなせた。シンガポールのチャンギ空港が素晴らしかったためか、KLIAはさびれて見えた。昭和の日本のようだった。係員もスタッフもどこか横柄なところがあって「ああ、これがマレーシアだったな(笑)」と数日前にタイムスリップした感覚になった。搭乗ゲート近くには数人の日本人がいたが圧倒的にこれから日本に向かうマレーシア人が多かった。ワイワイ賑やかだった。深夜搭乗間際に突然歌い出すHappy Birthdayの大合唱。皆でワイワイ楽しむのがこの国の流儀なのだろうなと思った。シンガポールはまぶしすぎた。雑多なカオス感の残っているマレーシアが旅を感じるには丁度いいように思った。

(続く)

マレー鉄道縦断の旅8

8日目 ジョホールバル(JB)→シンガポール

3:00。隣室の中国人グループのやかましい話し声で目が覚める。4人はいたと思う。どうやってシングルルームに入ったのか?世界中どこにいても迷惑な奴ら。耳栓をして対応する。

朝食がついていなかったのでGoogleMapでセブンイレブンを近くに見つけ外出。しかしある予定の場所にはビルしかなかった。デジタルのこういうところが本当に嫌。昨日のマラッカでのバス停のように一番必要な時に役に立たない。こういう時は直感が頼りになる。近くにレストランがあったので入ってみた。お馴染みのナシ料理があったので注文した。チキンチャーハンのようだったがまあまあ美味しかった。イスラム教のこの国でどれだけチキンを食べてきたことだろう。バナナはサービス。甘いコーヒーと併せて14RM。安いと思ったが今日から物価の高いシンガポールへ移動すると思うとちょっと気が滅入ってきた。

ようやく5日間のマレーシアの旅もまもなく終わる。振り返ってみて一番良かったのは、ペナンのゲストハウスの屋上で感じた風。二番目はマラッカのセントポールの丘。カラフィナのfar on the waterを聴きながらマラッカ海峡を眺めたこと。遠くにきたとしみじみと感じ、冒険って楽しいなと思った。ここもいい風が吹いていた。三番目はタンピンの小旅行。誰も開拓していない路線バスの旅。たまたま出会った日本人旅行客とのGlabでの移動。これらのうち2つは事前に予想していなかったことだった。プランにしたがって行動しつつも、時にはハプニングを楽しみ流れに身を任せることも大切だと改めて思った。

しかし、旅も8日目になると日本が恋しくなる。日本が嫌になって海外に飛び出してきたのだけど、日本に生活の拠点をおいて日本で生活したい。旅だから自由を感じられるのだと思う。 そろそろアンカーをおろし頑張っていこうと思う。

カード会社からの請求を見つつレートを計算した。現金だと1円→34RM、カードは35.5RM。マレーシアでは現金払いの方が遥かにレートがいいようだった。

9:30にチェックアウト。昨夜の中国人の騒動についてカウンターのインド人に一言告げておいた。彼は関係がなかったのだが誰かに聞いてもらいたかったので。

JB Sentral駅

駅について乗り場と改札を再確認。先日見たところで間違いなさそうだった。最後の最後だけバスになるのは避けたかったので念入りに確認した。円をシンガポールドルに変えておこうと思い、両替所を2つ当たってみた。そうしたら円を一度リンギッドに交換して、シンガポールドルに交換するという二度手間がかかることが分かった。そうしたらレートはかなり悪くなる。仕方なく手持ちの99リンギッドをドルに交換して29SGDを手に入れた。

ショッピングセンターのユニクロとH&Mを覗いてみる。新しい短パンを購入したかったのだが、リンギッドをドルに交換したために予算がなくなってしまった。日本で購入した方が安そうだったので今あるもので旅の最後まで頑張ってもらうことにした。お店はお客さんが結構いた。おそらくシンガポールから買い出しに来ているシンガポール人だろう。身に着けているものもマレーシア人に比べたら小綺麗だったしゆとりがありそうだった。SCの一階では車の展示販売も行われていて、さながら日本のSCのようだった。

国境越えは数日前に一度経験したとはいえやはり緊張する。改札ゲートの前に行列ができ始めた。シンガポールとマレーシアのパスポートを持った人ばかりだった。彼らのパスポートも赤い色なので日本人の私のパスポートも目立つことはなく安心した。中でも中華系の顔をした人が多かった。

11:00にようやく改札が始まった。一人しかいない係員が乗客一人ひとりのパスポートをスマホで読み取っていた。これが恐ろしく時間がかかる。私は比較的前のほうに並んでいたのだが10分はかかったと思う。後ろを振り返ると長蛇の列。これはとても11:30の発車には間に合いそうにないと思った。

改札ゲートを抜けると下の階に降りマレーシアの出国審査場があった。パスポートを提示すると出国スタンプを押してもらえた。入国と出国でスタンプの色と形が違っており、入国スタンプにはPADANG BESAR、出国のものにはJOHOR BAHRUと記載があるのも今回の鉄旅の証拠になってうれしかった。外務省の危険情報が出ている地域だったので命がけの鉄旅だった。そういえば危険地帯を通過するとき不思議な経験をした。iphoneの位置情報を他の端末が操作しているというメッセージがスマホ画面に数回出てきたのだ。外務省の役人もそこまで暇ではないように思うが、他の合理的な理由が見当たらない。パスポートのICチップとスマホの位置情報って連動できるのだろうか。

JB→Woodland CIQ列車

出国審査を済ませると電車に乗る列に再び並んだ。待合室のドアが開かれると一斉に人が流れ出した。写真を撮ろうと思って先頭車両に向かっていたら注意された。どうやらここは撮影禁止のようだった。車内はエアコンが効いていた。2×2の座席だったが今回の鉄旅で乗ってきた中で一番おんぼろの車両だった。

11:30定刻に発車した。さっきの行列に後部にいた人たちはどうなったのか疑問に思った。

ジョーホール水道

列車はジョーホール水道にかかった鉄橋を通過して行った。水道パイプが鉄橋沿いに見えた。シンガポールは水資源が乏しいためマレーシアから原水を購入しているようで、この水道管を通り給水されているようだった。あっという間に鉄橋を渡り終えると有刺鉄線の貼られた国境を通過し、シンガポール側のWoodland CIQ駅に到着した。総距離2.1km、わずか5分の鉄旅。

Woodland CIQ駅は数人の役人に常に見張られていた。駅の写真、列車の写真も一切NGのようだった。マレー半島を走破した記念に一枚撮りたかったのに残念だった。

シンガポールの入国手続きではこれまでの旅の遍歴を見てちょっと驚かれたが、名前と出国日の確認をされただけで簡単に通過できた。あまりにも簡単だったのでパスポートにスタンプが欲しいことを伝えた。しかし、シンガポールではすべてがデジタル管理されているのでできないという回答だった。

1時間後、ICA(シンガポールの入管)から滞在許可日数などが書かれた一通のメールが届いた。明日帰国するのだが30日の許可が出た。それでも私はスタンプの方がうれしいと思った。

Woodland CIQ駅を出るとバス乗り場に向かって近くのMRT(地下鉄)の駅まで向かおうと思った。どのバスに乗ればいいのか分からなかったので適当に乗った。料金はVISAカードのタッチ決済が使えたのでツーリストパスを購入しなくても便利で安上りだった。

シンガポールの第一印象はとにかくクリーンということだ。日本よりも綺麗なんじゃないかと思った。あと街路樹が多く、緑が多い。都会と自然が融合している。人は日本人と変わらないような綺麗な恰好をしていて、ボロボロの短パンをはいていた私はちょっと恥ずかし思いをした。警察官が多く、監視カメラも多かった。なので常にどこか監視されているという緊張感があった。

シンガポール郊外住宅

南北線のマルシリン駅についた。しばらく高架を走った。公団住宅のような集合住宅が郊外には多かった。MRTは都心に入ると地下を走った。途中のJyurong East駅で東西線に乗り換え予約していたホステルの最寄り駅のラベンダー駅まで向かった。MRTもタッチ決済ができたので意外と現金を使う局面は少ないのでは、29ドルで2日持つような気がしてきた。

ラベンダー駅を出るとフードコートがあった。そこでチキンライスのお店があったのでこちらにきて初めての食事を取った。その場で調理してくれた。暖かいご飯の上に乗った蒸した鳥が載っていて甘辛のたれがかけられていた。店内で頂く。5ドル。ベトナム、タイ、マレーシアと比べると当然高い。コンビニに立ち寄り物価感を掴む。ペットボトル飲料やビールは日本より高い。カップ麺や弁当なども日本の1.5倍はしたと思う。

Spacepod@lavender

ゲストハウスのSpacepod@lavenderは駅から歩いて数分の便利な所にあった。チェックインを済ませ割り当てられたベッドとトイレ、シャワーを確認した。Agodaで検索した中では一番安いところだったので不安感はあったが、想像していたよりも綺麗で落ち着くところだったので安心した。部屋のキーもロッカーキーもカードタッチで開けられるので便利で進んでいると思った。部屋には8つのカプセルが置いてあった。カプセル内の電気もちゃんと付いた。土足禁止だったので仕方なく素足であるいた。気持ちよかった。シャワーを浴びてダイニングで日記を書いていた。中央部が吹き抜けになっていたのでいい風が抜けていた。

シンガポール人はマレーシア人よりも礼儀正しく、マナーも良いように感じた。そして合理的思考が得意なようだった。街も日本と変わらないくらい(以上?)に清潔。ただ路上にゴミが落ちていたり、信号無視をする人もいたのでガイドブックが書いているほど取り締まりは厳しくないのではないかと思った。こちらでは地下鉄や街のいたるところに禁止事項と罰金の張り紙がしてあったので権力で押さえつけてマナーを守らせようとしているのだと思った、日本は恥の文化なので法律以前に道徳心があるからここまでする必要はないのだけど、近年は外国人観光客が増えてきて彼らのマナー違反が目立つので法律を作る必要があるように感じた。とにかく水道水が飲め、清潔であるということは安心できる。旅をしていると安心して滞在できる宿、トイレ、水がとにかく重要なのだ。

まだシンガポールにいるという実感が湧かなかったので、5月20日にバンコクで列車に乗車して移行の旅の遍歴を地図で確かめた。本当によく走ったなと思う。移動するだけの旅だったが色んな景色が見れたし、いくつかの人との出会いがあり、多くの人とすれ違った。今この瞬間に生きるということは集中するということだと分かった。計画通りにいかない時に旅の実力が試されること、その時の直感とコミュニケーションの大切さ。AIは情報がまだ少ない所、大事な局面で間違えることがある。

シンガポール マーライオン公園

16:00。観光に出かける。地下鉄を乗り継いでマーライオン公園に。多くの観光客がいて写真を撮っていた。開いているスペースに入って自分も自撮り棒で撮影していたら中国語で話しかけられた。「俺は日本人だ」と英語でいうと「ここは俺たちが先に撮っていた。ぽラロイドに映るからどいてくれ」みたいなことを言っていた。むかついたがことを起こしてはめんどくさいと思ったので場所を開けた。こういう時に一人だと悔しい。最近の日本人のマナーの低さにあきれていたが、中国人のマナーとモラルの低さには本当に辟易させられる。日本よりも大陸が近いこの場所は仕方がないと思った。

帰りに近くのフードコートでラクサを食べた。5ドル。マレーシアのマラッカで食べた分の方がずっと美味しかった。

シンガポールは監視カメラや注意書きのポスターが目につき、小さな島に閉じ込めれた監獄のような所だと思った。狭くて窮屈だと思っていた日本の方が自由があるように感じた。

宿に帰って受付の女性と少し話をした。マレーシア人らしい。こちらの方が給料がいいから出稼ぎに来ているようだった。ボランティアで日本語を教えている日本にいるの外国人労働者のことを思った。給料が高い所へ途上国の人は吸い寄せられるのだろう。経済の自然の成り行きのように思った。

シンガポールは東京のようだと話した。「東京もこんなに暑いの?」と聞かれたので「夏はこれよりもっと暑い」というと信じられないようだった。

発展途上国のベトナム、中進国のタイ・マレーシアを経由してこの国に入ると地方から東京へ上京したお上りさんのようだった。物価の高さと人の多さ、新しいビルの多さに驚いた。20代の頃、初めて上京して新橋のカプセルホテルに泊まった時のことを思い出した。日本に帰っても誰もいない、仕事もない。それは昔も今も変わらない。一人にもう疲れた。

この日は17000歩以上歩いていて足が悲鳴を上げていた。

(続く)

マレー鉄道縦断の旅7

7日目 マラッカ→タンピン→ジョーホール・バル(JB)

5:00に起床。とても静かだったのでゆっくり深く眠ることができた。意外とエアコンを切っていても涼しかった。部屋に窓があったのも良かった。

朝食がついていなかったので何か食べるために外を歩く。海に近いのでいい風が吹いている。ホテル近くの通りの角に見つけたマレーシア系レストランに入る。写真がついていたので注文しやすかった。Nasiというチャンプルーを注文。10RM。さすがにチキンばかりで飽きてきた。

思うに、外国人観光客がお店に入るかどうかを決めるのはメニューの写真があるか、価格が入る前に分かるか、お客さんが既にいて入りやすい雰囲気か、だと思う。チェックするまで値段が分からないのは正直怖い。

路上に昨日からずっと寝ているホームレスが一人いた。貧富の格差はマレーシアではそれほど感じなかったが。

チェックアウト後、路線バスでタンピンまで向かうためにまずはマラッカ・セントラルを目指した。GoogleMapが指定したホテル近くのバス停に向かった。するとそこに2人の日本人女性がいた。久しぶりに日本人を見つけた。話しかけられて、バスを待っているがここで間違いはないかと聞かれた。10分近く待ってもバスは来ず、地元の人に聞いてもここにはバスが来ないと言っていたと話していた。私は考えてGlabを使って3人で料金をシェアしてマラッカ・セントラルに向かうことを提案したら快く受け入れてくれた。

ただGlabはすぐに捕まったのだけど中々私たちが待っているところまで来なかった。アプリの地図上で確認したらある一か所に数分止まったままだったので”Please be hurry up!”とメッセージを打った。彼女たちは「マレーシアあるあるで知り合いにあって立ち話でもしているんじゃないでしょうか」と笑いながら話していた。私も彼女たちもこの国のいい加減さにうんざりしていることは同感だったようだ。

マッラカ・セントラル

バスターミナルには10:00過ぎに到着した。ちょっと早かったが知らない土地でスケジュール通りに行動しようと思ったら1時間前行動がいい。マレーシア人は時間に遅れても気にしないというが、次の電車を逃すと5時間後。さすがに5時間もエアコンもない駅で待つことはできない。だからタンピンには14:07発の列車に間に合わせるためにどうしても1時までに到着しておきたかった。

タンピン行き路線バス

路線バス乗り場でM20番のバスを探す。停車していたバスの中に運転手がいたのでドアを叩いてタンピン・バスターミナルに向かうバスかどうか確認。タンピンに行くというので時間も念のために確認。11:00で間違いないという。安心した私は近くの売店でこの日のランチを購入し、トイレを済ませエアコンの効いていない待合室で座って時間を待っていた。トイレは50セント必要でイスラムのお祈りをする部屋が近くに設けられていた。イスラム教徒にとってこういう場所はトイレと同じく生活に必要なインフラなのだと学んだ。

11:00。ようやくバスに乗車することができた。4.7RMの切符を運転手から購入。やはりお釣りは出なかったが、まだ誰も開拓したことのないバスに乗れたことの方がうれしかったのでよしとした。車内はエアコンが効いていてとても快適だった。地元民しか乗っておらず旅行者は私一人だけだった。子供が不思議そうにずっと見つめていた。

バスはマラッカ市内を通過して大きな通りを北上し続けた。車は多く走っていたがバンコクのような渋滞はなかった。マレーシアとタイの間にはこういうインフラの整備の点でも差があるように思った。中心国から抜け出せないタイと先進国入りをしようとしているマレーシア。両者の間には壁があるように感じた。

降車する人はブザーを鳴らすようだがバス停らしいものは見当たらなかった。知らない国の路線バスは始発から乗るに限ると思った。

1時間走るとアロガジャーという小さな町のAG Sentralというやや小さめのバスターミナルに着いた。ここでほとんどの乗客が降車した。その後バスは街を抜けて山の中をスピードを上げて走っていった。

タンピン・バスターミナル

12:20。タンピン・バスターミナルに到着した。マラッカ・セントラルからは1時間20分の路線バスの旅だった。今回の旅の中では全く情報がなかったルートだったので無事走破した時は達成感があった。タンピンは山の中にある小さな町だが営業しているお店がいくつもあって日本の過疎地よりは活気があった。AICHAというソフトクリーム屋を見つけ2RMの塩ソフトを注文した。外は暑かったので生き返る思いだった。ここから駅まで歩いて15分の距離だった。14:07発の電車まで時間があったのでしばらく休んでいた。

タンピン街並み

この町には日本人はおろか観光客は一人もいなかった。こういう所は向こうから働きかけてくる土地のように感じた。案の定、駅に向かって歩いていたら道にしゃがんでいたインド人から「Korean?」と話かけられた。「No, Japanese」というと「背の高い日本人は見たことがない」と言ってきたので私は「この町でこれまで日本人をみたことはあるのか?」と来てみた。そうすると「テレビで見てるから知っている」となんとも答えになっていない回答をしてきたが、面白かったのでしばらく会話してみた。一人で旅をしていると時々誰かと話をしたくなる。それが地元民だと最もうれしい。インド人のおじさんに会話をしてくれたお礼をいって駅に向かった。

Pulau Sebang/Tampin駅

駅の近くには小さなショッピングセンターがあった。線路をまたぐ歩道橋がありそこに登って写真を撮った。近くのモスクからコーランが大音量で流れていた。2階建ての駅舎の近くにはレンガ作りの建物を解体している最中のような工事を行っていた。旧駅舎だろうか?レトロ感があってこういうのは残した方がいいように思った。

駅の看板はPulau Sebangとだけ表示されていてTampinの文字は外されていた。駅名をわざわざ変更するなんて政治的な何かがあったのだろうか?小倉駅を北九州駅に変更しようとしている北九州市のように思った。一日数本しか止まらない小さな駅で間違えるわけがないと思ったが、列車が遅れていないか、プラットホームの番号を係員に確認した。例のように30分前になったらホームに入れるということだった。ペットボトルの水は無人販売所で1RMで購入した。待合所には子供が多かった。本当、子供のいない日本は終わっているなと思った。

Pulau Sebang→Gemas列車

14:07。グマス行きの特急列車はほぼ定刻に入ってきた。グマスでの次の乗り継ぎにも間に合いそうで安堵した。

タンピンには短時間しか滞在しなかったけど今回の旅で一番印象に残る町になった。マラッカを出発してここに来るまでにいくつかの出会いも会った。出会いは全くの偶然で計画にはなかったことだ。こういうハプニングが旅のスパイスになって行くのだと思った。行動してみて初めて出てくるハプニング。旅にでて良かったと心から思った時間だった。

グマス駅に近づくとやはり減速し、数分遅れた。グマスには14:40に到着。空が灰色になってグマス駅はスコールがまさに降り出そうとしていた。

日本で列車を乗り換える時はいちいち改札を出る必要はないのだが、KTMは改札にQRコードを通さないといけないのと次のJB Sentral駅行きの列車のプラットホームが分からなかったので一旦改札を出た。15:00までプラットホームは分からないと係員が言っていた。電光掲示板もないのでアナウンスすると言っていた。人とのコミュニケーションがないと乗り継ぎができない、それは不便なようだがリアルなコミュニケーションを介して得る情報の価値は大きいと思ったしこういう場がある旅の方が私は好きだ。日本にはもうほとんどないけれど。

Gemas駅(Gemas→JB Sentral列車)

グマスからJBの路線は今回走ったマレーシア鉄道の中では唯一電化されていない路線だった。そのため機関車が先頭についていた。油の匂いが鉄旅の旅情を掻き立てた。その機関車には”TOSHABA-KAWASAKI 1987”の刻印が刻まれていた。1987年。日本経済が世界で一番強かった時代。その時代に日本で走っていた機関車がマレーシアで現役で走っているのを知ってうれしくなった。エゴかもしれないが完全な電化よりもこういうのを残しておいて欲しいと思った。

15:00。グマス行きの列車はすでにプラットホームに入っていたので乗り込んだ。インド人と日本人のような乗客が何やら話をしていた。インド人は本当に話好きのように見えた。だまそうとしているのではなくただおしゃべりがしたいのだと思った。親しくなりないのだろう。

15:20をやや遅れてゴトッと音を立てたかと思うとゆっくりと電車は動き始めた。非常にゆっくりしたスタートだったが徐々にスピードを上げ始めた。グマス~JBはマレー半島の中央部分、山の中の小高い部分をを南下していく。スピードと列車の音がタイからパダン・ベサールまで乗った列車と同じだった。車掌がチケットの確認にきた。食堂車があるのか聞いてみた。C号車の後ろの部分に付いてると言っていた。

車両は2×2のシートでリクライニングもついていたのでJBまでの4時間半は我慢できそうだった。食堂車もトイレもちゃんと付いていた。

スコールが降り続いていた。スコールはますます激しくなり列車が止まった。ゴーという豪雨の中、しばらく電車は止まったままだった。ゴール近くになるとこれまでの7日間のことを思い返していた。

スコールが止むと空が明るくなった。空気が綺麗になったようだ。ヤシの木がしばらく続く。水田は見当たらなかった。並行して一般道が走っていたが車の方が早く走っていた。

マラッカ海峡。Faw on the waterを聞きながら、天正少年使節団のことを思った。日本から離れローマに向かう途中マラッカ海峡を通過したはずだ。挑戦者にしか見えない景色を彼らは見ていただろう。私の挑戦などそれに比べたら微々たるものだ。しかし、一人でも計画して小さな冒険に挑戦して実現できたことが本当にうれしい。試験の合格とは違った達成感。知らない世界を開拓していく喜び、その過程で人とのふれあい。一人旅は本当に面白い。

16:45。ジャングルの中をスピードを上げて南下中。BEKOKという駅。駅舎はどこの駅も立派だった。初めて見る山の形と植物の移り変わりを車窓から眺めるのが楽しかった。

小腹がすいたので食堂車へ行ってみた。いくつかのテーブルがあって車窓を眺めながら食事ができるようになっていた。もっとも私は一人だったので気兼ねし、パンを購入して自分の座席に戻って静かに食べた。食堂車に向かうとき、扉が空きっぱなしになっていた。日本だと国土交通省の臨時監査が入りそうな光景だ。ちょっと怖かったがこういうのもまた東南アジアっぽいよなと思った。

陽が沈むにつれて色を変えていく空。夕焼けに照らされた空が綺麗だった。雲と晴れ間の境界。まさに雷が発生している場面が見えた。自然ってすごいと思った。写真を何枚か撮ったが揺れでぶれて綺麗に撮れなかった。あと2時間。そろそろ歩きたくなってきた。車内はエアコンが効きすぎていて寒かった。

外は真っ暗になった。JBが近づくに連れ乗客は減っていった。日本人はやはり自分一人しかいなかった。駅に近づくとやはり減速した。寒い。早くついてほしいと願った。

JB Sentral駅

19:55。列車は10分遅れでJB Sentral駅に到着した。駅の構内にはシンガポールからの帰りの通勤客だろうか。かなり混雑していた。改札を待っている人がたくさんいたので明日乗るシンガポール行きのShuttle列車の待合のような気がした。数分歩いたところにWoodland CIQ行きの看板も出ていたが多分そちらはバスのように思った。

駅構内には売店や両替所がいくつかあった。売店でお弁当を買う。案の定チキンしかない。しかし今日がマレーシアの最後の夜なので我慢することにした。日本から持ってきたフリーズドライの味噌汁との相性は抜群だった。ショッピングセンターを抜けてようやく地上に出ることができた。

へトヘトになりつつ最後の力をふり絞って予約していたKingston Hotelに向かった。チェックインしたのは20:20。デポジットに50RM払って残りのリンギットを計算した。111RM残っていた。明日ユニクロで何年も履いているボロボロになった短パンを捨て新しいのを買おうと思った。シンガポールは多分こぎれいな格好をしている人が多いと思ったので。

結構いいホテルだったのでもっとゆっくりしたかったが明日はシンガポール行きのShuttleに乗らないと鉄路で国境越えも目的を果たせない。シャワーを浴びたあとは洗濯をして夕食を済ませた。

今日も移動だけの一日だった。一日くらい何もしない休養だけの日を作ってもよかったかなと思った。でも出会いもあって楽しい一日だった。

(続く)

マレー鉄道縦断の旅6

6日目 KL→マラッカ

6:00起床。あまり眠れず。旅に出てから毎日ベッドの硬さと枕の高さが変わるためかもしれない。朝食をホテル近くのインドレストランで頂く。数種類のセットメニューの中から選べ、ナンと2種類のカレーセット、チャイを選択した。まだ7時なのにインド系住人の多くの客でにぎわっていた。インド人以外の客はいなかった。一つ疑問に思ったのは、なぜマレーシア人は民族同志で固まってコミュニティを作るのだろうか。言葉の問題か?私は日本人とは距離を置きたいタイプなので変わっているのかもしれない。

中華街まで歩いていこうと思ったが、途中からおなかが痛くなったのでホテルに引き返す。無理はしない。マラッカにも中華街があるはず。マレーシアであとやりたかったことは中華街を見ることとラクサと食べることだ。

明日、マラッカからタンピンという町まで行く路線バスのルートと時間を確認した。ガイドブックにもネットにも情報が全くなかったので今回の旅の中の最難関だと思われた。電車の時間に間に合うようにタンピン駅に着かないといけない。乗り遅れたら次の電車は5時間後だ。そうなるとジョホール・バル(JB)にたどり着くのが翌日になってしまう。ただマレーシアの公共交通機関は遅れることが多い。約1時間前には到着できるようにしておいた方がよいと思った。マレーシア人は少々遅れても何とかなるという精神で生活しているらしいが、何でもきちんとしておかないといけない自分には向いていないのかもしれないと思った。

結局KLでは観光ができずにあんまり楽しくなかった。昨日歩き疲れたのもあるのかもしれない。

10:30にチェックアウト。受付のインド人は接客態度もよく感じのいい人だった。

KL Sentral駅

KLセントラル駅まで歩いてバスターミナル近くのBandar Tasek Selatan駅までのチケットを駅構内のKTSカウンターで購入。現金は使えずカードのみだった。今回はVISAカードを2枚持ってきていてよかった。一枚はペナンのフェリーターミナルでは使えなかったので。カードがなければこの国はスムーズに旅できないだろう。

エア・アジアのカウンターも駅構内にあったので帰国便についてリコンファームが必要か確認しに行った。オンライン・チェックインのみ可能でもうスマホからチェックインできると言われた。国際線のオンライン・チェックインは初めてだったのでここでもデジタルで日本が遅れているのを感じた。さっそくオンライン・チェックインを試してみた。予約コード、氏名を入力すると簡単にe搭乗券を手に入れることができた。クアラルンプール(KUL)→関西空港(KIX)は通路側の席になっていたので助かった思いがした。

地階の6番線で電車を待った。KTMコミューターには女性専用車両、待合室もあって日本と変わらない。ただ車内の雰囲気は異なる。マレー人と思われる人がハンズフリーで通話をしていた。何をしゃべっているのか分からないが、うるさいことは確か。また駅に近づくと列車は徐行して時には停車する。そうやって遅れを重ねていく。車内には禁止事項を知らせる警告がいたるところに貼られている。飲食したら罰金など。通話も禁止したらいい。日本人は恥となる行為を慎む精神を自分のうちに持っているので敢えてこのような警告をしなくても必然と静かでマナーがよいのだが、マレーシア・シンガポールでは外からの圧力で押さえつけないとルールが守られていないように感じた。

この国は乗り物の料金はとても安い。ホテルも。ただ衣料品については日本のほうがやや安いと思った。

TBSバスターミナル

12:15。TBSバスターミナルに到着。バスの乗車の仕方が分からなかったので開いていたカウンターで聞く。チケットにゲート13とあるので下の階に降りてゲートに行けばいいと聞く。売店でパンを購入してゲートの前でバスが来るのを待っていた。おなかの調子がよくなかったので不安だったが、ここのトイレは汚かったので我慢した。

さっきすれ違った日本人の夫婦が「まったく教育がなっていないんだよ!」と怒り声で話していた。おそらくカウンターの職員の態度だと思う。お客そっちのけで従業員同志でべちゃくちゃしゃべっていたり、横柄な態度だったり。そういう場面に私も多々直面したので。

バスターミナルにいる客層は鉄旅とは違い、貧乏旅行をしているバックパッカーや現地の人といった感じの人が多かった。そこは日本と同じだ。

マラッカ行きバス

13:00。バスは定刻通りに出発した。豪華な一人掛けのシートでゆっくりできる。問題はおなかの調子だった。マラッカまで2時間なんとか耐えてくれと祈る。沢木氏がインドで熱にうなされながらもバスに乗って次の目的地を目指していたシーンを思い出し、自分を鼓舞する。旅をしているのではなく、させてもらっている。この謙虚さを思い出す。そう思うと多様性とは冷たいのではなく、他人のテリトリーを犯さないために敢えて干渉しないように気を付けているのではと思えてきた。そういう文化なのだと。

バスはすぐに高速に入った。車は左車線を走り、道は綺麗に舗装されているので日本にいるような錯覚を覚えた。ベトナム、タイでは日本車の中古車をよく見たのだが、マレーシアでは新車か中国の車が多かった。最近はやりのBYD。バンコクを出発してから約1500キロ。地球の大きさはまだよく分からないが大変な旅になってきたと思う。

マレーシアはバランスのいい国のように思う。産業は石油、製造、情報と一次から三次まで揃っており、近年は情報産業に力をいれている。数年後にはイスラム諸国初の先進国入りを果たそうとしている。高齢者よりも圧倒的に若い人が多い。民族間のバランスも良く、天気もそこまで熱くない。日本のひと昔前の夏のようだ。今の日本が異常なのだと思う。偏りはよくないと思った。

マラッカ・セントラル

15:00。今回の旅の中で唯一予定より早くマラッカ・セントラルというバスターミナルの到着した。おなかの調子も問題なく助かった。クアラルンプールのTBSバスターミナルと異なり空き店舗の目立つバスターミナルだった。私は旅をしていてこういう所の方がなんだかワクワクする。都会のショッピングセンターのようにブランドのお店がぎっちり詰まったお店は日本で見飽きているからだ。マラッカ・セントラルには都市間の高速バスの他にローカルの路線バスの始発駅でもあった。明日のタンピン行きのバス乗り場と時間を確認した後は今日泊まるホテルの近くまで路線バスに乗って移動した。ただ乗り方が分からなかったので列の一番最後に並んで前の人のやり方を見ていた。ICカードを使う人、現金を払う人がいた。運転手に降りたい場所をGoogleMapで示して料金を確認した。1.3RMだった。2RMしかなかったがお釣りは出ないようだった。

マラッカで予約していたMercary Boutique Hotelにチェックインしたのは15:30。予定より早く入れた。部屋は広くシャワー室も綺麗で良かったのだけど1階のロビー前の部屋だったので他のチェックイン客の声が聞こえてきた。私は旅先で宿を選ぶときはとにかく静かなところじゃないとダメなのだ。旅で高揚した精神を鎮めるためにも静かなところが必要だった。50RMのデポジットと3RMの観光税を徴収された。ここで聞いて初めて分かったのだが観光税は州によって異なっているようだった。ペナンでは10RM、KLでは0だった。シャワーを浴びた後はコーヒーを入れバスターミナルで買ったエッグタルトをかじりつつ、夕方までしばらく休んだ。

スタダイズ

夕方散策に出かけた。まずスタダイズというピンク色をしたマラッカの象徴的な教会のある広場にでた。オランダ統治時代の建物だ。クアラルンプールから日帰り観光で来ていると思われる観光客が多かった。

セントポールの丘からマラッカ海峡を望む

その後、セントポールの丘に登る。夕陽にはちょっと早かったが丘に上がるに連れて心地よい風が西から吹いてきた。その時、マラッカ海峡が見えた。海沿いをずっと鉄道で南下してきたのだが海を見たのは久しぶりだった。マラッカ海峡を見て遠いところまで来たなと初めて実感した。大好きなカラフィナのfar on the waterを静かに流した。この知らない景色が日本にいたときから私を呼んでいたように感じた。地図を何度も見ながら空想していたのがこのマラッカ海峡の景色だった。風が気持ちいい。Breeze is nice.

マラッカ プラナカン・ショップハウス

川に一本かかっていた橋を渡ってプラナカンのショップハウスが立ち並ぶ通りを散策した。車が多く走っていたのが残念だった。それでもショップハウスがどこまでも続く通りは圧巻だった。品のあるお店やレストランがいくつもあった。ババニョニャヘリテージ博物館は5時までだったので入れず。ただその前にあった骨とう品店に立ち寄る。歴史を感じるおびただしい数の骨董品の数々。童謡に出てきそうな古時計が印象的で結構いい値段がした。とても見ごたえがあった。

ラクサ

お昼はパンしか食べていなかったのでヘトヘトだった。丁度呼び込みをしている店員さんがいたのでラクサはあるか聞いてみた。噂通りショップハウスはお店は入り口が狭く、奥が広く天井も高かった。間口によって税金が決まっていたようだ。店に入ると奥のテーブルに座ってラクサとマンゴージュースを注文した。マンゴージュースは濃厚でタイでコロナになったときに飲んだものと同じく美味しかった。疲れにとてもよく効いた。初めて食べるラクサはココナッツミルクが入っていた。まろやかで豚骨ラーメンの濃厚なのとは若干異なるがとても美味しかった。ヘリテージ博物館を見れなかったのは残念だったけど、念願だったショップハウスのレストランでラクサを食べれて大満足だった。

マラッカ 中華街

その後、隣の通りのチャイナタウンに出た。丁度出店が出始めていてお祭りのような賑わいだった。日本人なのにチャイナタウンにいると不思議と安心した。容姿が似ているからだろうか、雑多な人種の中で隠れることができる安心感があった。だから同じ民族同士は固まってコミュニティを作るのではないかと一つの仮説を立てた。中国式のお寺に入って今回ここまで旅をスムーズに進めさせてくれていることに感謝した。信じる神様は異なっても気持ちは天に通じるだろう。

夕陽が見たくて再びセントポールの丘に登る。やはり風が気持ちいい。夕陽までは1時間早かったのでこの日あったことをベンチに座って日記に書いていた。旅先ではペンが進むのは昔も今も変わらない。自然の中に身を委ねると五感がフル稼働し次々にアイデアが湧いてくる。だから旅は面白い。都会よりもローカルの人気の少ない自然のあるところが一番落ち着く。

あと250kmでゴールのシンガポールに着く。残りは3日。追い越されすれ違う人の方が多い旅。マラソンを走っているときのような気持ちだった。日本に帰ったらどうしようか、考え始めていた。停止しないで走りながら考えたいと思った。

この街はマレーシアで一番良かった。いい風が吹いていた。

(続く)

マレー鉄道縦断の旅5

5日目 ペナン→クアラルンプール(KL)

6時起床。とても静かなゲストハウスだったのでゆっくり眠れた。睡眠を妨げるような騒音は何もなかった。

ペナン カピタン・クリン・モスク

早朝のジョージタウン市内を散策する。カピタン・クリン・モスクという立派なモスクが宿のすぐ近くにあった。昨日バルコニーまで届いていたコーランの読経はこのモスクからだろうと確信した。

ペナン 壁画アート

数分歩くと壁画アートのある通りに出た。自転車が屋根の上に乗っててまさに現代アートだと感じた。確か、カオサン通りにも空中に吊るしてあった自転車があった。製作者はどういう意図でこれらオブジェを作ったのかとても興味がある。空を走る自転車というイメージだろうかなどと空想した。

ペナン プラナカン・マンション

ペナンプラナカンマンションを発見。緑色の建物だった。あいにくまだ営業していなかったが、説明の碑があったおかげで大枠を掴むことができた。プラナカンマンションはマラッカ王国の時代に中国から渡ってきた裕福な男性とマレー系の女性の間に生まれた子たち(男性はババ、女性はニョニャという)が継承し続けてきた邸宅だ。この後向かったマラッカやシンガポールでも同じようなショップハウスをいくつか見たので、これらの文化はマレー半島全体に広がっていたのではないかと推測される。

近くの中華系のフードコートで軽い朝食を取った。ラーメンともそうめんともいない微妙な麺。味は海鮮味であっさりしていて美味しかった「日本人?」と聞かれた。私は旅をしていても現地人と間違えられることの方が多く、日本人とストレートに聞いてくる人は少ないのでちょっとうれしかった。ここはフレンドリーなお店でよかった。

マレーシアにはマレー系、中国系、インド系の住人がいて、それぞれコミュニティを作っている。彼らは同じ民族同士で固まっているように見えた。しかし、地域の中で上手くすみわけができていて、日本で見られるようなヘイトはほとんどなく平和に共存しているように見えた。

ここまで目的を定めてそれを実現するような旅をしてきたが、なんだかちょっと面倒になってきた。現地で自分の直感にしたがってワクワクする方向に進んだほうが面白いのではないかとちょっと思うようになった。その方向に進むと何かが待っている。私の人生の場とその何かが交錯する場。そういうのを大切にしたいと思うようになってきた。

ジョージタウンは世界遺産に登録されているので清潔で安心して歩ける街だったが、何か刺激が足りなかった。ベトナムや香港で感じたような巨大なエネルギーのようなものが感じられなかった。静かな街でよかったが長期間滞在するには退屈するだろうなと思った。車があればビーチまで遠出できて楽しいのかもしれない。人口は約70万人らしいので日本の地方政令指定都市のような感じを受けた。

これまで5日間ひたすら移動を続けているがまだよくわからない。移動する人になったが上手くいののだろうか。環境→感情→行動。まだよくわからない。一人に疲れて日本に帰りたくなってきたのかもしれない。

ペナン 郵便局庁舎

11時に宿をチェックアウトした。キーを置いて帰るだけだったので、ちょっと寂しく思った。インド人街を歩いてフェリーターミナルに向かう。途中見つけた郵便局庁舎の建物もレトロ感があって素敵だった。

港では傷ついた野良ネコがいた。薄汚れた姿になんだか今の自分みたいだなと思った。鳩も多かった。餌をやるなとここにも注意書きがあった。広島では鳩は平和の象徴として大切に扱われているが、ここではカラスと同じように厄介な存在なのかもしれない。

帰りのフェリーは無料だと『地球の歩き方』に書いてあったのにここでも2MYR支払う必要があった。情報はどんどん変わっているので歩き方は参考程度にとどめて、現地でその都度対応していった方がいい。

ここまで来ると日本人が一人もいないのがとても爽快に感じた。周りは知らない外国人だらけ。彼らから見たら私も外国人。一人ベンチで次のフェリーをのんびり待つ。この土地で挨拶を交わした人、お店の人、すれ違っただけの人、犬猫鳩。すべては数時間後には思い出となる。

ペナンは風が気持ちいい街だった。

お昼ごろバタワースに到着。レストランに入って一人で食べるより、お弁当を買って食べる方が落ち着いて食べられるのでショッピングセンターでお弁当を買って近くのベンチで食べていた。そうしたらタクシー乗り場の管理人のような男性から「ここはタクシー待ちをするところだ。あっちへ行け」みたいなことを言われたので非常に不愉快だった。仕方なく駅で電車を待つ間に改札近くのベンチでかきこんで食べた。

バタワース駅

バタワース駅では相変わらず改札に行列ができていた。QRコードを読むスピードが遅いため必然的に行列ができてしまうのだ。人が処理した方がまだ早いんじゃないかと思うくらい。中途半端にデジタル化するとかえって不便な結果になるように思った。日本で印刷してきたチケットの控えを係員に見せると改札はすぐに通れたが、プラットホームに降りる階段にはチェーンがかかったままだった。そのため構内はますます混雑し始めた。早くこの人込みから逃れたい、そう一心に思っていた。

KTM Express

13:05発のKTM Express KL Sentral行きに無事に乗車。完全予約制で日本の特急列車のような車内だった。車両には売店が自分が押さえていた席の近くにあったのでお弁当は買う必要がなかったと後悔。ひと昔前の日本の新幹線にあったようなダイニング車両がついていた。KLまで約3時間30分。窓側の席を取ったので車窓の移り変わりを楽しむことができた。

列車はマレー半島を時速約140km/hで南下していた。地図で見ると赤道に向かって一直線だ。端っこの日本を見ると、このまま地球の最果てまで走ってもっと遠くにいきたかった。人種のるつぼのここマレーシアで、多様性とは異なるグループとは程よい距離を取って生活すること、干渉しないことではないかと気づき始めた。他人に無関心な冷たい人が多いように思ったが、それはお互いが上手くやっていくための手段なのではないかと。

突然の激しいスコールにもかかわらず列車はスピードをさらに上げて加速していた。車内はとても静かでマナーのよい乗客が多かったが、すぐ後ろの食堂車ではヒジャブを被った若い女性を男性がナンパしているのではないかと思うほど賑やかだった。

イポー駅

14::35。イポー駅到着。白いヨーロッパ調の駅舎が美しかった。クアラルンプールまであと200キロ。電車はこれまで海外で乗った中では一番快適だった。

沢木耕太郎氏は旅先にはこちらから働きかけなければならない場所と向こうからやってくる場所があると書いていた。タイ、ベトナムは後者でマレーシアは前者のように感じた。おそらく所得水準が高い国は海外旅行に行けるから外国の旅人にも無関心なのだと思う。

売店でコーヒーを頼む。その場でケトルを沸かしカップにお湯を注ぐインスタントタイプの甘い味のものしかなかった。日本のコンビニのブラックコーヒーが飲みたくて仕方なかった。それでも車内で飲むコーヒーは格別だったが、ベトナムで旅立ち前の朝に飲んだコーヒーはもっと美味しかった。

熱帯雨林の中を高速で走っていく風景は日本では見られないのでとても面白かった。新幹線がここを走ったらすごいだろうなと空想したが、そう遠くない未来には実現しているような気がした。50年前の日本がそうだったように、マレーシアの経済発展は今とても勢いがあったように思う。若い人も多く数年後には先進国の仲間入りをすることを予測する経済学者もいた。

赤道が近くなるに連れて空と雲が近くなっているように感じた。緯度が影響しているのか?その空を見ながら一つの場所に縛られないで自由に旅をしたいと思った。

線路の幅が日本のよりも狭いと思った。一応、ずっと複線が続いている。進行方向とは逆向きの席があるのも日本では見られないなと思った。初めてということは、何もかもが驚きの連続で新鮮だった。

クアラルンプール市内に入ってからは徐行することが多くなり10分以上遅れているようだった。日本の新幹線はあれだけの本数を数分の狂いもなく運航させているので外国人がびっくり驚く理由がよくわかる。だんだんビルの数が増えてくる。

KL Sentral駅

17:00。KL Sentral駅に約20分遅れて到着した。プラットホームは地下にあった。上階に出ると高い吹き抜け天井が印象的だった。ここは日本の黒川紀章が設計したらしい。そのためか日本語の案内標識も出ていた。空港行のKLIAエクスプレスもここから出ていた。

近くのショッピングモールの地下で5000円を両替した。先日のペナンの方が若干レートが良かったが数十円だから気にしないことにした。

クアラルンプールの第一印象は都会の一言に尽きる。いくつもの田舎を経由してきた私は右も左も分からない完全なお上りさん状態だった。ただやっぱり多国籍で色んな肌の色の人がいて様々な言語が飛び交っていた。その混沌さが一つの秩序として存在している都市だった。

駅近くのCozy Hotelにチェックインした。ここでは宿泊税を取られなかったので先日のペナンは何だったんだろうと思った。世界遺産地区だけ?あとで知ったのだが州によって扱いが異なるようだった。部屋はとても広いビジネスホテルのようだった。約3000円でこの広さと設備なら文句のつけようがない。

ブキ・ビンタン

ブキ・ビンタンという繁華街に出るためにモノレールに乗った。クアラルンプールの銀座のような所でとても賑やかで華やかだった。日本のユニクロや無印良品のお店もあったが、日本よりやや高いように感じた。その足でベトロナス・ツインタワーまで歩く。六本木のような坂があって高級ホテルが数件あった。Bukitとは丘という意味らしい。ビルの影に隠れてなかなかタワーが見えなかったが突然2つの超高層ビルが目のまえに姿を現した。これまでの人生の中で見た一番高いビルだった。高さ451メートル。片方は日本が、片方は韓国が資金を出していると書いてあった。タワー周辺には観光客と写真を撮る業者のような人が多数いた。

ペトロナス・ツインタワー

疲れもピークで何でもいいから食べたかった。でも一人だと入れるお店がなかなか見つからない。カップルや家族ばかりで気が滅入る。異国に来ても一人で歩いている自分がみじめに思った。ベトナムのような開放的な入口のレストランを探し回った。

ブキ・ビンタン駅まで戻り、駅の裏通りにあった地元のレストランに入った。そこは扉がない開放的なレストランだったので入りやすかった。メニューに写真と値段がちゃんとついていたので安心した。ナシ何とかというチャーハンを頼んだ。ちょっとスパイシーだったが美味しかった。飢えた犬のようにがつがつ食べた。戦後この地域に取り残された日本兵のようだなと思った。

ホテルには21:00頃戻った。帰りのモノレールの改札でブザーがなって出られないで恥ずかしい思いをした。この国に疲れ始めていた。多様性は確かにあって人種のるつぼだ。しかし、他人に無関心で冷たい人が多い。公共の場所でのマナーは悪いしうるさい。サービスは三流。日本が嫌になって旅に出たのにもう日本に戻りたくなってきた。

(続く)

マレー鉄道縦断の旅4

4日目 パダン・ブサール→バタワース→ペナン

4時頃目が覚める。旅に出てからは完全な朝方人間になった。列車は暗闇の中をひたすら南に走っている。車両の中はとても静かだ。パダン・プサールまであと250キロだった。

太平洋戦争初期、日本軍も同じルートで一気にマレー半島を南下し、シンガポールまで陥落させた。そのルートを辿っているようで複雑な心境だった。

6時。Chan Atという駅に到着。数人の乗客が下車する。日の出。空が明るい。朝日が窓側から登ってくるが揺れているのでうまくカメラで写真が撮れない。水平線の向こうに顔を覗かる太陽、そして時々水田。もうそろそろ危険地帯に入るはずだが、のどかな風景のために緊張感は全然感じなかった。

Patterlung駅近く。山の形が面白かった。水田、蓮、牛、馬。こういう農のある風景が好きだった。旅を初めて4日目。だんだん巣の自分に戻っていくように感じた。飾って生きなければならない社会は窮屈だ。旅はそういう環境から自分を解放してくれるように思った。

時計の針を1時間進めてマレーシア時間に合わせた。列車は若干遅れているのだろうか。いくつかのローカル駅に停車することなく通過しスピードを上げてぐんぐん南下する。赤道近くの太陽はより一層まぶしく感じる。

タイ ハート・ヤイ駅

8時(マレーシア時間9時)。タイ南部最大の都市ハート・ヤイ(ハジャイ)駅に到着。一瞬だけ外に出て写真を撮ろうとしたら係員から静止されてコーチに戻るよう促された。乗り遅れたら大変なので従うことに。このハジャイで列車は東に向かう車両と西へ向かう車両へ分離される。前に進んだり後ろに下がったりしながらガタンという激しい揺れが数回続いた。

9時30分。ようやく再び列車が動き始めた。パダン・ブサールの方向に進んでいることをGoogleMapで確認する。ちょっと緊張してきた。激しい汽笛を数度鳴らしながら走る列車。乗っている乗客は少なくなった。

列車は突然ジャングルのような雑草が生い茂る何もないところで停車した。廻りには施設やビルなど何もなく草原しかない。警備しようにも警備しようがないと思った。何せ人より野放しにされている牛の方が目立つ場所。列車はテロリストが狙うには恰好のターゲットのように思った。何事もなく通過してくれと祈った。

国境通過

パダン・ブサール駅は二つあった。一つはタイ側、もう一つは自分が下車するマレーシア側。タイ側のパダン・ブサール駅を通過後、すぐに国境だと思われる鉄条網が見えた。わずかに開いた隙を列車が通過していった。

国境越えと言っても初めて関門トンネルを通過して本州から九州に入ったときのような感覚だった。何度もやっていると当たり前になって緊張も感動もしなくなるのかもしれない。

マレーシア パダンブサール駅

マレーシア時間の10時20分。約2時間遅れでマレーシアのパダン・ブサール駅に到着した。写真を撮る暇もなく、人の流れの沿ってイミグレーションに進む。まず最初にタイ側でタイの出国手続があり、そこから数メートル離れた先にマレーシアの入国手続がある。2つの関所の通過にかかった時間はわずか20分。陸路での入国は思ったよりも簡単だったがパスポートに押された2つのスタンプを見て重みを感じた。

パダン・ブサール駅

駅構内の2階に上がるとタイ国鉄とマレーシアのKTMの二つのカウンターがあった。マレーシア側に並んでバタワース駅までのチケットを買った。ただここは現金が使えずカードしか使えないようだった。直前のオーストラリア人がカード決済できなかったようで数分立ったまま後ろでイライラして待っていた。何とか購入できたようだったがそのオーストラリア人から「日本人ですか?すぐわかりました」とたどたどしい日本語で話しかけてきた。「大変だったね。Good Luck for You」と心にもないことを言った。私のクレカは問題なく使えたので良かったがカードが使えないときは現金を使用できるようにするとか柔軟に対応すればいいのにと思った。そもそもカードを持っていない人はどうするんだろうと。窓口以外にも券売機が2つあったがどちらもカードしか使えないようだった。

パダン・ブサール駅構内

無事にチケットを購入できた私は次の列車の時間を近くにいた係員に確認した。そうしたら次の列車は12時25分だという。まだ1時間30分も時間がある。そこで2階の構内にあったフードコートのお店の一つでバーツをマレーリアのリンギット(RM)に交換できると聞いていたので残っていた300THBを34RMに交換してもらった。レートはかなり悪いが手数料だと思えばいいし、ペナンに渡るフェリーは現金しか使えないとガイドブックに書いてあったのでどうしてもリンギットが必要だったのだ。そのフードコートで初めてのマレーシアでの食事をとった。バナナの皮に包まれたご飯とおかずのセットを頂く。ナシ・ルマッだと思う。日本ではコメ価格が暴騰している中、お米が食べられる幸せを嚙みしめた。

マレーシアの第一印象は若い人が多い。あと雑多感。多様性の国だとは聞いていたがインド人、マレー人、中国人の顔つきをした人たちがそれぞれグループになっていて共存していた。そして賑やかだ。どこかで音楽が流れていて普通に電車内で携帯でしかもハンスフリーでしゃべっているし、動画も音楽も周囲に気を憚ることなく聞いている。これが多様性なのか・・・とがっかりしたが、数日したらそういう光景にも慣れてきた。

GoogleMapで列車の到着時間を確認したがどうやら1時間ずれていた。国境駅のここではタイ側の電波を拾ってタイ時間で表示されていたようだ。こういうところはアナログの方が優っていると思った。

12時10分。改札が開いた。1階のプラットホームにあったベンチに座って電車を待つ。風が気持ち良かった。ヒジャブを被ったかわいらしい子供がスマホを嬉しそうに振りかざしながら、ほほ笑みながら時々私のほうを振り向いた。

KTMコミューター

12時35分。ほぼ定刻に列車が入ってきた。コミューターには指定席ではない。KTMはここから後日乗り継ぐグマス駅まで電化されているので、揺れはさっきまで乗っていたタイ国鉄ほどはなく、日本のJRとほとんど変わらない乗り心地。スピードもそこそこ出ていたようだ。ただ本数が数時間に1本しかないので車内は結構混んでいた。バンコクを出発してから約20時間近く列車に乗っていたので、さすがに疲労が蓄積し、列車酔いしていた。

ペナン行きフェリーチケット売り場

14時45分。バタワース駅に到着。改札を出てフェリー乗り場に向かう。1階に下りるとペナン島行きのフェリーチケット売り場があった。ただ現金しか使えないと聞いていたのに、逆にクレジットカードしか使えなくなっていた。そして今度は私のクレカが接触が悪いので使えないという羽目に。それを後ろで見ていたタイのお坊さんが私の分も支払ってくれるという。幸いもう一枚クレジットカードがあったので断った。別のVISAカードで決済ができた。さっきバタワース駅で見たオーストラリア人の気持ちが分かった一コマだった。

ペナン行きフェリー
ペナン島ジョージタウン両替所

フェリーは約15分でペナン島のジョージタウンに着いた。上陸後、まずまとまったリンギット(RM)を購入するために両替商が多い通りを目指した。港から数分歩くとインド人がやっている両替店がいくつかあってレートを聞いて回った。大体どこの両替屋も金額はほとんど変わらかなかったので5件目で両替をした。10000円で300RM欲しかったが、交渉してもどこも無駄なようだった。「日本円は今は弱い」とあからさまにいうインド人もいた。頭にきたので「この店のレートは今日見た中では最悪だ」と言ってやった。とりあえず今日の宿代と夕食分があればいいので5000円を147RMに両替した。

ペナンで押さえていたSunshine Houseまでは近かった。ただ宿の門がロックされていて誰も出てこない。メールを何度か送ったが返事がない。炎天下の中、疲れのピークだったのでイライラしていた。何度もチャイムを連続して押すと一人のマレー人と思われる男性がようやく姿を表した。オートロックを解除するキー番号をAgoda経由で送っているというが届いた試しはなかった。門を開ける方法を何度かレクチャーしてもらいチェックインした。ただ支払いが予約サイトで提示されていた金額よりも10RM多かったので不信に思い理由を聞いた。それは州が決めている観光税だった。マレーシアでは州によって金額は異なるが、外国人観光客はホテルに滞在するときには観光税を支払わなければならないようだった。

シャワーを浴びて4日分貯まっていた洗濯をした。ここは無料で洗濯機が使えるのはありがたかった。ただ洗濯物を干す場所が屋上にしかなく、そこには2人のインド人観光客がすでに陣取っていた。一人に「今日はこれから雨が降ると思うか?」と聞くと「日よけのついている方に干せばいい」と教えてくれた。盗まれるような高価なものは持ってきていなかったが、やはり盗難が心配だった。しかし、他に場所がなかったので屋上に干した。そのインド人から「ビールを飲むか?」と聞かれたが散歩したかったので「1時間後に戻ってくるよ」と伝え、洗濯物を心配しながら外出した。

ペナン・セント・ジョーンズ教会

ジョージタウンは人口約70万人の街で世界遺産に登録されている。観光施設が非常にコンパクトにまとまっている。見どころはイギリス統治時代の建物やインド、中華、マレー系のそれぞれの文化が融合する街並みだ。あと壁画アートも面白い。

宿の近くには中国のものと思われる立派なお寺が近くにあった。広場には鳩がたくさんいたが「餌やり厳禁」の標識が立っていた。セント・ジョーンズ教会も数分の所にあった。思っていたより小さかった。

おなかが減っていたので海辺にあった地元民が使うフードコートに行ってみた。ただ注文の仕方がさっぱりわからない。一番人だかりのできていたお店の前に立って困っていたら、イケメンのインド人からお皿とトングを渡され好きなものを選んで後から払えばいいと教えてもらった。いくつかの揚げ物を選んでカウンターで渡すと甘辛のソースにきゅうりと大根をトッピングしたものを返された。ライスはないのか聞いてみたがそんなものはないというように鼻であしらわれた。23RM。この国の物価水準をまだ知らなかった私はタイより高めのその価格にややぼったくられた感があった。最初の一口目は美味しかったが揚げ物に濃厚ソースは胃がもたれそうになった。日本食が食べたい。一人旅は食事が本当に困る。

フードコートの目の前には整備された海岸があって多くの地元民がくつろいでいた。凧揚げをする人、大道芸人など一昔前の日本で見られた光景があった。何よりも子供が多い。この国は日本と違ってまだまだ発展していくだろうと思った。太陽の沈んでいく方向には高層マンションが見えた。

ペナン・ショップハウス

食後は適当に街をぶらつく。歴史建造物は狭い範囲に集中しているので半日あれば大方のところは見て廻れそうだった。そのほかプラナカンと呼ばれる中国人の富豪とマレー人の子孫のショップハウスが軒を並べる通りがあった。1階部分がお店で2階部分が住居になっているようだった。玄関先の数メートルはどの家も公共のために提供していて屋根付きの通りができていた。日よけと雨宿りに最適だと思った。建蔽率いっぱいいっぱいのマンションばかりの日本と違い、こういう物件が残っているのは素晴らしいと思った。その他コロニアル様式の市庁舎や郵便局も立派な建物だった。

宿に帰ると屋上の洗濯物はそのまま残っていた。いい風が吹いていて洗濯物はほとんど乾いていた。インド人が盗むかもしれないと考えていた私は反省した。そして彼らと親しくなるチャンスを失ったことを後悔した。そこに宿の従業員と思われる男性が登ってきて洗濯物を固定する洗濯ばさみを貸してくれた。ペナンにスコールは来ないのか聞いたら2日に1回くらいだという。それは涼しくなるからいいねと話した。

4日目にして3か国をこれで訪問したことにある。『深夜特急』の沢木耕太郎氏にはかなわないが、地元民の中に自然と入っていく、「何でも見てやろう」という気概で挑戦する、交渉する。そうするうちに私に旅の追い風が吹いているように感じた。屋上では近くのモスクからイスラムのお祈りの大音量が聞こえた。初めての国では学ぶことが多い。謙虚になる必要がある。「何も知らないことを知る」。言い得て妙だ。ここはまぎれもない多民族国家だったと認識した。

(続く)

マレー鉄道縦断の旅3

3日目 バンコク(クルンテープ・アピワット中央駅)~夜行列車

昨夜はあんまりよく眠れなかった。隣室の外国人(おそらくタイ人か中国人だと思う)が深夜遅くに動画を大音量で見ていたり、突然歌を歌いだしたり。こういうシーンはこの後の旅の中で多数遭遇した。全く日本の感覚でいると、ストレスが貯まる。

バンコク・カオサン通り

ギリギリ11時30分にチェックアウトする。カオサン通りが近かったのでカオサンまで歩く。すると突然の雨。歩いているタイ人は平気な顔で傘もささずに歩いていたが、大きな荷物を背負った私は屋根のあるところで雨宿りをした。16時10分発の電車まで時間はたっぷりあるし、こういう時は急がないで自然のリズムにしたがって旅をした方がいい。カオサンも2回目になると真新しさというか、初めて来たときのような感動はなかった。

バンコク・チャオプラヤーエクスプレス

その後、近くの船乗り場からチャオプラヤー・エクスプレスというボートに乗りバーン・ポーというMRTの駅がある船乗り場までチャオプラヤー川を北上した。バンコクは車の渋滞は激しいが水上は全くの渋滞知らずで爽快だった。オレンジの法衣を着たお坊さんが数人いた。2年前チェンマイからバンコクまで鉄道で移動したタイ旅行を思い出していた。あの時はコロナに罹患し帰国前まさかの入院。今回は最後まで体調を崩すことなく、無事に帰国することも一つの大きな目標だ。

バーン・ポー駅でMRTに乗り換え、クルンテープ・アピワッド中央駅に向かう。この駅からマレーシアのパダン・プサール行きの国際列車が出ているほか、北部のチェンマイなどいくつかの長距離列車が出ているいわばバンコクの中心駅だ。数年前まではもう少し南にあるファラムボーン駅が中心だったが移設したみたいだった。そのため建物は新しかった。ただ無駄に広くてひたすらゲートまで歩く必要があった。

バンコク・クルンテープ・アピワット中央駅

チケットカウンターがあったので日本から印刷してきたQRコード付きの予約確認表を係員に見せ、チェックインが必要になるか確認。すると、このQRコードが乗車券になるようでそのままゲートEまで進んでいいと言われた。ただとにかく構内が広い。なぜこんな無駄な空間を作ったのだろうか。10分くらい建物の中を歩いた。ようやくゲートEの入口にたどり着いた。今日自分が乗る電車の発車時間をゲートの前で再確認し、近くにあったお店でお弁当を買う。一人旅でいつも一番困るのは食事だ。レストランは一人では非常に入りづらい。だからこういう時にお弁当は本当に助かる。ガパオライスを購入し、構内に並んでいたベンチの一角に座って食べる。またビタミン不足が気になり始めていたのでマンゴーを干したようなものを購入した。塩につけて食べるらしく、最初は抵抗があったが慣れてくると案外美味しかった。

出発時間が近くなるとゲートEの周辺には乗客が次々と集まってきた。ヒジャブを被った女性や肌の色の異なる外国人。これまでとはちょっと違った雑多な雰囲気があった。おそらくこれから国に帰るマレーシア人だと思う。日本人や欧米人の観光客らしい人はほぼいなかった。やはり危険地帯を通過するのはリスクは大きいのだろうか。就職氷河期世代として日本では自己責任として冷遇されてきた身分だったが、さすがにここで何かあったときは自己責任で仕方がないと思った。

このクルンテープ・アピワット中央駅のロビーは1階にあって2階がプラットホームになっていた。休憩していると1時間に一本くらいの割合で列車が入構するゴーっという音が聞こえた。テンションが上がった。自分はやはり乗り物が好きなのだと思う。初めての国際列車と陸路での国境越え。成功するようにと祈った。

バーツが結構余っていたので車内で食べる予定の夕食とパンを購入。さっきよりもさらに人は増えてきて座るところがなくなった。多くの乗客はスマホを見ながら時間をつぶしていた。肌の色や宗教が異なってもこういう光景は日本と全く変わらないと思った。

15時50分になるとようやくゲートが開いた。座っていた人が一斉に並び始める。しかし、QRコードを読み取る機械の調子が悪いらしく、なかなか前に進まない。改札を無事通過すると流れに従ってそのまま2階のプラットホームに上がる。自分の車両番号を確認してその車両の前にいたタイ人の係員に再確認。列車は自分が向かうパダン・プサール行きの車両と別方向行きのスンガイ・コーロック行きの車両が連結されていてタイ南部のハート・ヤイ(ハジャイ)駅で分離されるようになっていた。もし車両を間違えていたら危険レベル3のスンガイ・コーロック行きの方へ向かってしまうので。念には念を押した。

パダン・プサール行き

16時10分。定刻通りにバンコクを出発した。ここから17時間の鉄旅。今回の旅の本格的なスタートだ。車掌がチケットの確認に来た。何も言わなかったのでほぼ100%パダン・プサール行きで間違いないと確信した。

列車は20分間高架を走った後、郊外に出た。30分も走るとビルの姿は消え、低層住宅が増えてきた。雑草は伸び放題だった。さすがにこの暑さだと抜いても抜いても生えてくるんだろう。そのまま放置しておくのが自然のような気がした。

車内は当初は見知らぬ乗客同士で緊張した雰囲気が流れていたが、1時間もすると安定してきた。私も無事に乗車でき、次の目的地に向かっている途上であることを思うと安心できた。タイ語は意味が分からないがベトナム語や中国語みたいにうるさくないので、タイ人乗客の静かな会話は心地よかった。いくつかの国を鉄道で旅をするとその国の国民性が見られるのも面白い。

駅に停車する都度、売り子が乗り込んできてタイ語でワーワー言いながら色んなものを売りに来る。さっき駅で夕食を購入する必要はなかった。

約1時間も走るとほんとに風景は自然だけになった。緑だけ。時々ビル、工場。ベトナムで見たような水田はあまりなかった。

トイレを念のために確認した。鉄道の旅はこれが一番不安だった。去年のベトナム統一鉄道は和式で利用するのをためらうほど汚かったので。今回のタイ国鉄の2等はまだ我慢ができる洋式で水洗付きだったので安心した。同じ車両内にはオレンジの法衣をまとったお坊さんが数人いた。その姿をみるとなぜか安堵した。

カンチャプリーへ向かう線と分岐したあとは列車はひたすら南下を始めた。外には馬が放し飼い。自然のある風景は癒された。都会はゴミゴミしていて疲れる。田舎に行くほど車よりバイクの数が増えていった。所得が異なるのだろうと思った。売り子もお弁当のような加工食品ではなくバナナそのもののような1次産品を売りに来ることがあった。彼ら(彼女ら)は列車に乗ってきては頑張ってものを乗客に売り、次の駅で下りて引き返していくようだった。

出発して2時間。列車はスピードを上げてどんどん南下して行く。植物の形もヤシの木が増えてきてより一層南国風になっていった。世の中の動きに逆らって私はあとどこまで勧めるのだろうか、最終的にどこにたどり着くのだろうか。夕焼けに染まっていく空を見ながら考えた。でも知らなかった世界を開拓するのは楽しい。夕陽に照らされ走る列車の影を見ながらそう思った。

19時ごろ、ずっと開いていた目の前の席にタイ人の乗客が乗り込んできた。タイ語で何か話しかけれられたが意味が分からなかったので、Google翻訳で「日本人です」と紹介した。「Thank You」と一言言った後、静かになったと思ったら案の定、彼はずっと目の前で通話を続けていた。

19時30分。車掌がベッドメイキングに来てくれた。どうやらこちらから依頼しないと作ってくれないようだった。目の前のタイ人の乗客はさっきそのことを話していたようだった。慣れた手さばきで二段ベッドはあっという間に完成し、私は再び個室を手に入れることができた。足はかろうじて伸ばせる広さ。

2年前にチェンマイからバンコクまで乗った1等車両には劣るが、丁度いい大きさでカーテンでプライバシーもしっかり確保できたのが良かった。コンパートメントで仕切られていた1等車両は知らない外国人と部屋をシェアしないといけないので、こちらの方が一人旅には向いていると思った。

外は完全な闇になった。緊張と疲労で困憊していたのだろうか。その闇に吸い込まれるように眠りに着いた。ガタゴト揺れるのがゆりかごの中のようで気持ちいい。

マレー鉄道縦断の旅2

2日目 ハノイ→バンコク

スコールの激しい音で早朝目が覚める。時々鳥のさえずり。まだ5時。機内誌で見つけた”Morning belongs to those who rise early”(朝は早起きした人の所有物)という言葉を思い出し小一時間で観光をしようと思い、外に出た。

ハノイ大聖堂

昨夜とは違って外はまだ静かだった。ほうきで道を清掃している人が数人いた。空気が凛としていて気持ちがよかった。歩いて数分のところにハノイ大教会を見つけた。1900年頃作られた伝統のある建物だ。丁度ミサが始まる時間だったみたいで地元の人が次々に集合していた。短パンで入ると何か言われそうだったので中には入らなかった。

ハノイ・ホアンキエム湖

次いで向かったのがホアンキエム湖。大きな湖。福岡の大濠公園みたいだと思った。湖の周辺は遊歩道になっており、散策をする人、ジョギングをする人、体操をする人を見て私の体も自然に動く。柵がなかったのでちょっと怖かったが。

帰りに屋台の前を歩いていたら「バインミー?」と声をかけられた。宿でも朝食がついていたのでどうしようかと迷ったが、ドンが余りそうだったので一番人気があるものを注文した。実際はバインミーではなく、ケバブに近いものだと思ったが、その場でパンにお肉をはさみ加熱して、新鮮な野菜をトッピングしてくれたのでとっても美味しかった。「Japanese?」と聞かれたので「Yes」と答えたら嬉しそうだった。写真を撮らせてとお願いしたら喜んで応じてくれた。

飛行機の時間が11時だったので7時45分の空港行きの路線バスに乗りたかった。そのため宿は7時にチェックアウトした。出発前にベトナムコヒーを頂く。濃厚で美味しかった。ハノイ駅まで歩いて駅構内を歩いた。昨年ダナンから乗った統一鉄道の17時間の苦行を思い出し、今回は体調を崩さないようにと願った。

バスは定刻に出発した。ロレックス、グッチ、カルチェなどのブランド品を売るデパートがある通りがバスの通り道にあった。ベトナムも豊かになりブランド品を購入する層が増えているようだった。一方、ホームレスと思われる人が車がひっきりなしに走る道路脇に座り込んでいた。貧富の格差は社会主義国でも拡大しているようだった。市内を抜けた直後に大きなホン川が流れていた。まるで龍のようで神々しかった。

9時にノイバイ空港に無事に戻ってこれた。出国審査はあっさり通過。スピードの遅い審査官が自分の所にばかり出国者に並ばれるので、大きな声であっちにも並べとベトナム語で怒鳴っているようだった。

ハノイ・ノイバイ国際空港

バンコク行きの登場口にはサッカーのユニフォームを来たタイ人の乗客が多かった。サポーターっぽかった。2年ぶりにタイ人を見た。ベトナムに来た直後に見たタイ人はおおらかな人が多い印象だった。ベトナム人はどちらかというと真面目な印象を受けた。

11時20分定刻通りにバンコク行きの飛行機は離陸した。バンコク行きの便は里帰りのベトナム人ではなく、タイからの観光客が多かった。CAの英語の発音もずば抜けて綺麗だった。残っていたドンで昼食を注文した。マレーシアのコムガーという料理。130,000VND(6USD)。日本円に換算すると130000VND=715円、6USD=840円だ。今のドル円相場がまだいかに円安なのかが分かった。1USD=119円が適正な水準だと思った。

バンコク・スワンナプーム国際空港

13時30分。定刻にバンコクのスワンナプーム国際空港に到着した。外は雨が降っていた。ターミナルは離れたところにあったので無人電車にのってQICのあるメインターミナルに移動。タイのイミグレはベトナムと違って欧米人観光客が多く込み合っていた。日本出国前にTDAC(デジタルアライバルカード)を登録しておいたので、何も質問されることなく指紋と顔写真を撮られた後はスムーズに入国できた。ただパスポートの全く離れた新しいページにスタンプを押されたので、できれば連続した所に押して欲しかった。

バンコク・高速道路

空港地下にあるレートの良い両替所で4000円をバーツ(THB)に両替し,906THBを手に入れた。2日しかタイには滞在しないのでこの金額で十分だろうと思った。そのままカオサン通りに直行するバスに乗り込んだ。バス料金は60THB。マナーの悪い欧米人グループが近くに座ってきたのでバスの最前列に移動した。走るバスの最前列には高層ビルが次々飛び込んできた。バンコクはハノイと違ってバイクよりも圧倒的に車が多かった。運転マナーもベトナムほど酷くない。高層ビルの数も多く、大都会だ。ただ都市高速などのインフラ整備が増加する車の数に追いついていないのか、中心部の渋滞には毎度うんざりする。

カオサン通りから10分歩いて予約していたBangkok Saran Poshtelにチェックインした。ホテルは必要なものしかないこじんまりとした部屋だったが、必要なものはすべて揃っている個室だったので、本格的な翌日からの鉄旅の前にゆっくりできた。海外では立地とネットの口コミは宿選びでは極めて重要だ。戦略的にこのホテルを押さえておいてよかったと思った。

バンコク・チャオプラヤー川

髭剃りを持ってきていなかったので近くのセブンイレブンでT字剃刀を購入した。チャオプラヤー川に沈む夕日を見ながら近くの公園でビールを飲もうと思ったが、飲酒は8000THBの罰金をあったのでホテルに戻ってから飲んだ。公園では大音量の音楽のリズンに併せて体操している人が数人した。その様子がコミカルで面白くてずっと見ていた。Tiktokに上げたらバズりそうだと思った。

ビジネスと旅って案外似ているんじゃないかと思った。ある程度計画を立ててから行動に移す。その計画は動きやすい動線を意識した戦略的なもので、例えば、次の目的地に向かうためにはどこに宿を取ったらいいかとか、予算はいくらか、それに合わせて食事代を決め(朝食付きがおすすめ)、どういう部屋ならゆっくり休めるかを決める。しかし、決して計画通りにはいかないこともある。また計画しても動きださなければ絵にかいた餅と同じで意味がない。行動することが何よりも大切であるという点で旅とビジネスは似ていると思う。

また飛行機とゲストハウスの経済性についても学んだ。ゲストハウスのドミトリーも飛行機のエコノミーも狭い所に人を詰め込むため安い、ファーストクラスや一人部屋はゆとりがあるが高い。最終的は面積当たりに占める収入は同じになるのだと思う。

何歳になっても旅は色んなことを気づかせてくれる。

(続く)